明石の老人ホームでの孤独死から何を学ぶべきか

明石の老人ホームでの孤独死から何を学ぶべきか

 

散歩をする老人2019年5月、介護業界を騒めかせる衝撃的なニュースが報じられた。

その出来事が報じられた当時の日経新聞記事の序文を引用すると

兵庫県明石市の介護付き有料老人ホーム「パーマリィ・イン明石」の個室で暮らしていた男性(91)が5月22日に死亡しているのが見つかり、死後十数日経過していたことが31日、ホームへの取材で分かった。”
(日本経済新聞2019年5月31日刊「老人ホームで男性孤独死 10日超気付かず 兵庫・明石」https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45500580R30C19A5000000/)

と表現される。
有料老人ホームでの孤独死という驚愕の事実は当時センセーショナルに取り扱われ、ニュース番組でも熱心に取り扱われた。
この衝撃的なニュースから、我々は何を学ぶべきだろうか。二度と同様の出来事を起こさず、教訓とするために意識すべき事は何だろうか。

今回は介護の現場で実際に起こったこの衝撃的な出来事について考えていきたいと思う。

 

本件について新聞やニュースで公開された事実をまとめると、当該の利用者は介護サービスを受けておらず、自立して生活していたと発表されている。同時に気難しい人物でもあったために施設職員の訪問などが実施されず、死亡の事実の発覚が遅れ、結果的に死後10日以上が経過してからの発見となったようである。その後についてニュース等で取り扱われる頻度は減っていき、筆者の知る限りでは刑事事件に発展した事実などは見当たらない。

今回の件が取り分けセンセーショナルに取り扱われた理由は、老人ホーム内で孤独死が発生したという点が異質だったためである。その後ニュース番組から鳴りを潜めた理由としては、これが違法性のある行為ではなかったという点が挙げられるのではないだろうか。

 

有料老人ホームは現状介護を必要としない場合でも入居が可能という、現に要介護状態で介護を必要とする者しか入居することの出来ない特別養護老人ホームとは全く別物の介護施設である。
将来的に介護を提供することを約束していれば入居することができ、また介護サービスは委託する別の事業所が提供しても構わない。
そのため、介護者の加虐行為や死亡の要因となるような虐待が存在しなかった以上、違法性はないと判断されたのであろう。

 

しかし、現場で働く介護者の中に訪問の必要性を感じている者はいなかったのだろうか。

私は否であると考えている。

日々の介護に忙殺され、法的にしなければならない業務に追われる中で、何となく気になるが必ずしもしなくても良い訪問を実施する余裕が現場の介護者になかった為に、今回死後10日以上が経ってからの発見となったのではないだろうか。

 

これは、施設を経営する法人にとっては当たり前のものであるともいえる。
基本的に営利法人によって運営される有料老人ホームにおいて、介護は利益を生むサービスとして提供されるものであり、ボランティアではないのである。
介護保険法に定められる利用者に対して、契約に基づいて利用者に介護を提供することで収益をあげることが目的であり、収益に繋がらない介護を提供する必要も意味もないのである。

では、これを仕方のないこととしてよいのかというとそうではない。

そこで私は、この痛ましい出来事を教訓とするために介護者が経営者の視点を持たなければならないと声を大にして提案したいと考えている。
介護という、元来正義や愛、優しさに下支えされているように感じられる行為を、営利を目的とした経営の視点で考えるという矛盾に取り組むことが、ひとりひとりの介護者にとっても重要なことなのである。

 

ずばり今回の事件の再来を防ぐ手立てを挙げるとすれば、それは単純に訪問することではないだろうか。せめて死亡の三日前に訪問できていれば、介護職者として知識や経験のある職員は異常な様子に気付くことが出来たはずである。即時に救急搬送などのしかるべき対処が行われ、少なくとも孤独死はしなかった。
しかし、その訪問は利益を生まない。介護・福祉業界に似た機能を求めるならば、それは民生委員のような、ボランティアとしての訪問であると言わなければならない。

それを可能とするのは、むしろ経営者としての視点なのである。

 

介護職者にとって、日々の業務は困難の連続で、悩みは尽きないものであると、私は考えている。
もしあなたが介護職者で、今困難も悩みも感じていないのであれば、それは気付けていないだけか、相当の幸運に恵まれたものだ。
それを解決するために多くの介護職者は上司や経営者に対して「人を増やしてほしい」「業務を減らしてほしい」という。これがナンセンスなのである。

一般的な企業において、人を増やしてほしい、業務を減らしてほしいという要望を提出する場合には企画書が必要である。
そして企画書には『今回の企画書が認められた際に企業にもたらす利益』が並べ立てられる。決して、企画書を提出した個人の利益や感情を書き綴るものではない。
経営者の視点で、利益やメリットを明確化するのである。

今回の出来事でいえば、現に介護サービスを使っているかどうかに関わらず、毎日一回の訪問を行う、一週間に一回の訪問を行うという業務を追加してはどうか、という企画書さえ通っていれば、回避できたものだと考えられないだろうか。
その際の経営者にとってのメリットは少し考えただけでも複数提示できる。

一つに、訪問して少しでも会話する中で早期のニーズキャッチを可能とし、介護サービスの利用開始に繋げることで、利益化のタイミングを早めるという点が想像される。

次に、体調の変化を早期に発見することで今回のような出来事を回避し、社会に与えるマイナスイメージを未然に防ぐというリスクマネジメントの観点も挙げられる。

さらに言えば、訪問して信頼関係を構築すること自体が認知症対策としても有効なものであり、将来的な介護負担の軽減に繋がる。

まだまだ挙げられる。週に一回は顔を見せてくれるよ、毎日挨拶に来てくれるんだよ、と家族の耳に入れば、それは口コミによる利用客の増加にも繋がる。例えば担当制にして利用者の訪問を行えば、職員の担当意識、職務に対する責任感の醸成にも効果があるかもしれない。

私は件の施設の内部事情に詳しいわけではないので、今挙げた要素の内どの程度が具体的にメリットと認められるかを判断できないが、少なくとも10日以上にわたって訪問していない場合に比べればメリットとして提示できるものであろうと思われる。

 

このような経営者としてのメリットを提示しながらでなければ、介護職者としての「思いやり」や「優しさ」は達成できないのだと、各々の介護職者が理解しなければならない時が来たのである。
至って当たり前の話として。より安く売りたいが利益を出さなければならないように。より良いものを売りたいが、開発費に限界があるように。

特に有料老人ホームなどの営利法人が母体となる介護事業所において、介護者はボランティアではなく利益を生みだす職員でなければならないということを、忘れてはいけない。

これは他業界では一世紀前から当たり前のものでありながら、介護で儲けるという字面を嫌うあまり、介護業界で忌避されてきただけのことである。どうすれば双方が儲かるか、これが全ての収益事業の最優先事項であることは疑う余地もないのである。

今回の痛ましい出来事を機に、介護事業を行うそれぞれの法人、組織、事業所が、少なくとも他業界に後れを取らない程度には醸成した組織として完成していくことを切に願うものである。

(posted by 鈴木和也)

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※掲載情報につきましては、 2019年10月17日公開時点のものです。 施設情報・制度・資格などにつきましては、改定などにより最新のものでない可能性があります。必ず各機関や団体、各施設などにご確認ください。